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「ピースウォーク宝塚」☆ に参加してきました!
こんにちは☆お久しぶりです♪hiro*です。

今日は、昨日14日(土)に宝塚市で行われたイベントについて、昨日書いた記事をUPします。
その名も「宝塚ピースウォーク」!それでは、駄文ですが、お付き合いください

2011年、5月14日(土)
お天気に恵まれ、最高の街歩き日和でした♪
お昼14時、中山駅に10余名の方々が集まり、ピースウォークがスタートしました☆

参加者は、宝塚や近隣市から集まってこられ、下は超可愛い小学2年生(パパママと参加♪)、中学2年生の男の子から、上は??まで。(笑)幅広い世代の人が参加していました☆

今日のコースは中山駅~売布(めふ)神社まで♪
下の◆1~◆3では、今回めぐった場所をちょっと(かなり?w)詳しくご紹介します。さーっとでも、じっくりでも、お好きな加減で、呼んでください♪

◆1  東久邇宮殿下御野立之地(ひがしくにのみやでんかおんのだてのち)
最初に駅から少し南下したところにある、東久邇宮殿下御野立之地(ひがしくにのみやでんかおんのだてのち)の石碑を見に行きました。

1937(昭和12)年8月建立。今里児童遊園地内(川の中の公園・・・てゆうか中州?)に立っています。
東久邇宮殿下が軍事演習を見学した記念碑だそうです。

東久邇宮殿下とは、久邇宮家から独立して東久邇宮家をつくった皇族で、皇族にはめずらしく、軍人の道に進みました。フランスにも留学し、帰国後、第二(仙台)・第四(大阪)師団長にもなっています。
1945(昭和20)年、8月17日には、鈴木貫太郎首相のあとを受けて、敗戦後の最初の首相になりました。

このあたりの地域の歴史を記した『武庫郡誌』には、このあたりが第四師団の実弾演習の場になっており、民家に将兵が宿泊したことが記されていたのだそうです。

◆2  中山寺 境内 日清戦争記念寓塔、「日露記念」碑
今度は駅へ戻って線路のしたをくぐって、一路北へ。
お大師さんとして有名な弘法大師の寺、真言宗のそれはそれは立派なお寺、中山寺へ向かいます。
奥(上)まで進むと、なんと!お寺の境内、小高くなったところに、2つの石碑が前後に並んでいました。

後ろにあるのが日清戦争を記念した碑。とっても細長く背が高い。
梵字が刻まれていました。(意味はさすがにわかりませんでした・・・修行が足らん???)
これは、朝鮮における甲午農民戦争鎮圧に向けて日本と清(中国)が互いに朝鮮へ覇権争いのために出兵した日清戦争を記念した碑です。1894(明治27)7月~1895(明治28)年3月にかけて、朝鮮半島を主戦場に戦いました。中国に対する「シナ」という蔑称が広がったのは、この戦争以後のことなのでした。

そして、前に立てられた小さいほうが、日露記念碑
日露戦争を記念した石碑です。朝鮮支配をもくろみ清と戦って勝利した日本でしたが、朝鮮内には親ロシア派が優勢になります。一方、国内では「三国干渉」に対する反発が高まり、かの有名なスローガン、「臥薪嘗胆」のもと、1902(明治35)年、英国との同盟に力を得て、1904(明治37)年2月~1905(明治38)年8月にかけてロシアと戦いました。この戦争を記念して、当時全国にこのような石碑が建立されたと思われ、伊丹市の中野素戔嗚(すさのお)神社にもその記念碑があるそうです。
なお、1911(明治44)年には伊丹、西宮、豊中を中心とした陸軍の第4、第16師団の東西対抗演習があり、当時の皇太子と乃木希典(まれすけ)が閲兵しているのだそうです。

ところで、この見学中、「正露丸」の話が出ました。
正露丸の名前の由来は「征服、露西亜」にあるという話です。
実際にHPで確認してみたところ、次のように書かれていました。

「征露丸」は日露戦争中に、大陸に進軍した大日本帝国陸軍の胃腸薬として使用されていました。
露国(ロシア)を征伐することと、将兵の士気高揚の意味をあわせて命名されたといわれています。
初代の日露戦争当時の製品名は「忠勇征露丸」といい、その後、「正露丸」と名前を変え、現在にいたっています。日露戦争の頃から、100年以上にわたって皆さまに愛され続けているのです。

(大幸薬品HPより )


わりと有名な話のようなので、知っていた人には当然ですが、初めて知った人はちょっと驚きますね。

身近なところに、戦争の歴史は片鱗を留めているものなのだな、と思いました。


◆3  売布(めふ)神社 境内 「皇太子殿下御慶事記念奉納」鳥居、「御慶事記念樹」碑、「忠魂碑」
さて、いよいよ西へずーーーっと歩いて、売布神社へ。
境内にはいろいろな見学スポットがありますよ!!!

「皇太子殿下御慶事記念奉納」鳥居・・・1923(大正12)年11月建立。
翌年1月26日の皇太子(後の昭和天皇)の結婚を祝って奉納されました。

あと、鳥居の前には、1990(平成2)年11月の天皇即位時の
「御大典記念」の灯篭12基も建てられていました。

「御慶事記念樹」碑・・・1924(大正13)年1月26日建立。
上と同様に、皇太子の結婚を祝して建立された碑と樹。
奉納鳥居の外、左のほうに、ひっそりと(かなりひっそりと)立っていました。
一瞬、どれが記念樹?と思ってしまいましたが、おそらく横の切り株だったのでしょうか・・・。(ちゃんと聞いとけよ!;)
残念ながらHP検索しても何も出て来ずwでした^^;w

「忠魂碑」・・・1928(昭和3)年11月建立
そして、最後を飾るのが、「忠魂碑」です。
戦死者を祀る慰霊のための碑。
文字は青森出身の一戸兵衛(いちのへひょうえ)陸軍大将の筆によるものです。
「忠魂碑」の横には石碑があります。そこには、この碑を建てた由緒が
「帝国在郷軍人会小濱村分会発起・・・」とあります。
建設委員として5つの町の総代の名前が刻まれています。
また、JR伊丹駅横に1913(大正2)年建立の忠魂碑があり、こちらの文字は乃木希典の筆だそう!!!

そうそう、この「売布」神社を「めふ」と読むことについても話が出ていました。
どうやら、渡来系の人たちから伝わって、朝鮮半島の音が入っているのではないか、ということでした。

調べてみると、この神社は奈良時代より古く、推古天皇18年に始まるようです。
なるほど、この時期なら、渡来人が・・・というのは、大いにありえますね。
宝塚の地は物部氏の一族の若湯坐連(わかゆえのむらじ)が拠点としていた地だとか。

「中世以来、「貴布禰神社(きふねじんじゃ)」と称していたが、
江戸時代に地誌学者の並河誠所が調査した結果、
この社が延喜式の神名帳に載せられた式内社の売布社であることが分かり、
以後売布社と称するようになった。 」

とも書かれていました。
(転載元・参考HP:「延喜式神社の調査」の中の、摂津国売布神社(一般の方?による)、
神奈備売布神社(やはり一般の方のようです。)


終わりに◆売布神社、境内にて・・・
さて、最後には、境内で主催の先生がお話をしてくださいました。
これまでの歩みや、どういう目的・意識をもってこういうことをやってきたのか。
心に残ったのは、「被害の歴史」以外の歴史にも目を向ける、という言葉。

戦跡というと、被害の歴史が残る場所ばかりが注目され、取り上げられる。
でも、直接の加害者でなかったとしても、当時、「戦争を支えた人たち」がどこにも存在していたはず。
強制されたからか、自ら進んでかはともかくとして、そういう人たちはどこにもいた。
そして、戦争の歴史について、「ヒロシマのことなら詳しいけど、
自分の町であったことは何も知らない」という生徒たちに、
自分の村、町の戦争の歴史を知ってほしい、
というようなことをおっしゃっていました。

ヒロシマだけではなく、どこの町にも、どこの村にも「戦争」は存在していたのです。。。
「普通の人たち」が、意識か無意識かは別として、戦争の(間接的)加害者として存在していた・・・
昔の村の絆の強さや団結力には憧れる私ですが、そんな「普通の人たち」をいつのまにか「加害者」にしてしまうような時代は、二度と繰り返したくないなと思うのでした。どちらか一方が被害者ではない、どちらもが被害者で、加害者・・・(日本国内でこれを言うだけで、相当反発する団体があるでしょう。それは、外国だって同じこと。)でも、このような視点を冷静にどこの国民も持ったなら、もう少し未来は開けるのかな、、、そんなことを思いました。こんな夢想のような理想に一歩一歩現実を近づけていくために、多様な視点からの公平な平和教育、あるいは人権教育が重要なのだな・・・と思いました。歴史を歪曲したり美化したりするのでもなく、奇麗事・理想主義と批判して一蹴して片付けるのでもない。歴史を分析し、事実をできるだけありのままに受け止めた歴史認識に立って問題に取り組もうとする姿勢、たとえ自国の歴史のなかに汚く醜い狂気の人間の姿や、覆い隠したい過去の恥ずべき事実があろうともそれを受け止め越えていこうとする先生方の孤高の精神を感じました。こういう「平和教育」をやろうとする先人の心意気に触れ、その意味を深く考えさせられた機会でした。

また、若い先生方にこういう活動を伝えて行きたい、とおっしゃっていたのも、同じ道を行こうとする後輩として、大変胸に響きました。

私も、今回参加して、自分の住む市のことが知りたいと思いました。
あなたの町は、どうですか?あなたはどのくらい、知っていますか・・・?

長くなりました。今回は私にとっても初回参加・初回報告だったので、かなり詳しく報告してみました。毎回こうはできませんが、興味をもたれた方は、今後も違うコースで何度か実施されますので、ぜひ次回以降、ご都合のつくときに、ご参加ください♪


◆お茶会
ところで、終わったあとは残った参加者でお茶会をしました♪
なかなか濃い青年が来ていて、政治の話を決壊したダムのように話す子でした(笑)
あんな人材、エルベールに欲しかったなぁ、と思った安田であります(笑)
いや、いたらエルベールが破壊されていたかもしれませんがwww
すごく物知りな子で、同年代とは明らかにその話はできないね(笑)と言っていました。
週刊金曜日」という雑誌を愛読しているそうです。
(私、その雑誌、見たこともないんですけどwww)
かなりの個性派・逸材?wでしたが、まあ、また機会があればお会いしましょう。笑。

よく歩き、よく学び、よく話し、よく交流し・・・
体も口も頭も目もよく働いて、なんだか充実した、よい一日でした♪


なお、各スポットの解説は、本日いただいた資料から引用させて頂きました。
掲載の許可を取って、UPしてあります。


長文失礼しました!

2011・5・14  hiro*
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同志社大学のサークル「教育と社会問題を考える会Aile-vert」の元メンバーを中心に立ち上げた社会人サークルです。

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