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『下流志向』を読んでグツグツ意見交流会を終えて
こんにちは、廣田です。

先日、シェアハウスkyoto kitchenで『下流志向』を読んで意見をグツグツ煮込む会が開催されました。

ちなみに、2月は以下の企画も進行中
2月18日(土) 
題「理数離れ」、主催:白熱!20代しゃべり場、場所:妙音堂弁財天
2月26日(日) 
題「大学」、主催:お話会、場所:未定(今出川付近)
来月はきのくに合宿もありますね!

この春は教育について考える月間のようです。
学校は嫌いなはずなのに、ずっと教育を考える場にいる自分が不思議です。
おそらく、何か気になっているのだろうと思います。

『下流志向』は
教育の中に資本主義経済の考え方が、無意識に入ってきてしまっていることに警鐘を鳴らしています。
学びから逃避する子供、労働から逃避する若者を
「消費行動」に当てはめて論を説いていきます。
刺激的な内容になっていますので、ぜひ一度お読みください。
(今回の会の企画によって3冊くらいは本の売り上げに貢献している!w)

Kyoto kitchenで鍋がグツグツしている円卓を囲み
思い思いに意見を交わしてゆきました。
答え・・・答えなど出るはずがない。
ただただ、意見を交わしてゆく会でした。

こういうのも「無駄」といえば、そうなってしまうのかな。
「こんなことして何になるの?」と言われればそれまでです。
答えはない、ゴールもない。

最近、なんらかの「会」を企画する機会に恵まれているわけですが
話をする会を企画するとき、最初に「目的は?」を設定します。
その目的を提供できるようにプログラムを組んで、人を募集します。
商品として「会」を考えるなら、それは必要なものなのですが
たまにそんなものなしに、ただ人と話したくなります。
目的のない、真剣な話。

そう考えて、ふと浮かんだのは
「目的(得るもの)」がないと、集まって真剣に話すという行動ができないのかな、ということ。
極端な考えだとは思うけど
人とのコミュニケーションでさえ「なんのために?」が必要になるのかもしれない。

シェアハウスや、コミュニティ作りに妙な違和感を感じると、グツグツ会の中でも話しました。
何かと「相互作用したい」のは人間の本質的な部分だと思う。
それなのに、相互作用するにも「目的」を必要としてしまうので、「一緒に住む」ことや「コミュニティを作る」ことを選択していると考えるとどうだろう。
一緒に住まないと、目的なしのコミュニケーションができない。
「そこにいるから、話している」と形を作らないことには
ただただ、答えのないやり取りができない。
そう考えると、自分の家族や、生まれた地域から出て、違う場所でコミュニティを作りたがる理由も少し理解できる気がする。
コミュニケーションの世界にも、無意識に利益をもとめる「消費」の考え方が入り込んでいてもおかしくはない。

真剣なコミュニケーションには多少なりと、しんどいこと、が含まれます。
目的なく「苦痛」を払うわけにはいかない
本当は理由もなく苦痛を享受したいのに、それは損だからしてはいけない。
「一緒に住んでるからしょうがないんです」と苦痛を受けることの言い訳をしている。
本当は、言い訳せずに、真剣なコミュニケーションの苦痛を受け入れたいのに・・・。

やっぱり少し極端か。

何気なしに話していたところから、偉大なアイデアが生まれたという話はよく聞かれる。
好きなことをただ続けていたら、偉大な功績になったという話もよく聞かれる。

「何のために?」という消費行動につながる問いは
効率化を求めるためじゃないか、という話が上がっていた。

効率化を求めないといけない分野もあるんだろう。
でも、効率化を求めてはいけない分野もあるんだろう。

人間の開発した、資本主義という考え方は、ある種偉大な発明だが
きっとまだ未熟な部分を含んでいる。
生活のすべての部分にそのルールを当てはめることはできないのだと気づかないといけないのかもしれない。

効率化を求める部分と、求めない部分
それを意識して分けることができたら
私がなんとなく感じている、資本主義への違和感もなくなっていくような気がする。

~*~*~*~*~
まとまらない長文に、お付き合いいただきありがとうございました。

私はこれからも、目的なくコミュニケーションできる場を作っていきたいと思います。
なぜと言われてもよくわかりません。
必要な気がするから
私がそういう場が好きだから、です。

参加したいなぁ、と思われたら、ぜひご一緒しましょう。
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(非公開コメント受付中)

議論と目的
得るものがないと集まって真剣に話すということはできないのか?
決してそんなことはないと思う。
何か話すつもりで集まったわけでなくても、ふとした会話から、
真剣なやりとりになった、という経験がある人も多いのでは?

シンポジウム(討論会)の語源が、
ギリシア語の饗宴(もっと平易にいえば「ともに酒を飲むこと」)
というのは、よく知られた話。
プラトンの『饗宴』も宴会の席に集まった人たちが、
その場の提案で決まったテーマについて語ったことをのちに、
ある人物が伝えているという形をとっている。

だから、目的というのは時にはなくてもいいと思う。
もちろん、目的があって、議論するというのであれば、
それはそれでいい。
とはいえ、人間何かをするには多かれ少なかれ理由があるとも思う。
でもそれは必ずしも何か得られる(例えば問題に対する具体的解決案が出る)とか、
そういうことを求めているだけではなくて、楽しそうとか、何かありそうとか、
そんな漠然とした感覚も含まれるんじゃないかと思う。
相互作用と目的
相互作用を求める一方で、そこにも「目的」を必要としてしまうから、
新たなコミュニティなり、シェアハウスなりに入って、
一緒にいるから、話しているという「状況」をつくることで、
答えのないやりとりの理由付けをする。

今の流れの説明のひとつとしてはありなのかな。
僕自身は、コミュニティとかシェアハウスとかについては、
まだまだ知らないことの方が多いけど、
シェアハウスに集まってくる人を見るかぎり(といってもごくわずかしか知らないけど)、
そこまで倒錯した状態に陥ってはいないように思う。

むしろ積極的に人と関わることを求めているような印象がある。
人と関わることで、知見を広げようと、
何か面白い化学反応が起きるんじゃないかと、期待しているような。
それは目的といえなくもないけど、そういう期待とか、高揚感というのは、
むしろ自然なものなんじゃないかと思う。
社会人サークルAile-vertとは
同志社大学のサークル「教育と社会問題を考える会Aile-vert」の元メンバーを中心に立ち上げた社会人サークルです。

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